フランス、ブルガリア、ポーランド、ロシア、イギリス、日本の6カ国をまわる2005年MIYAZAWA-SICKツアーの記録です。
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ツアースケジュール、メンバーはこちら。
以下の各サイトでもこのツアーについて記録されていますので、あわせてご覧ください。
ずっとずっと前から夢を持っていました。
「地球上にいるたくさんの人に、一人でも多くの人に自分が作った歌を届けること……」
子供の頃から漠然とその夢を思い描いていましたが、
今思えば、本当に強く願い始めたのは10数年前にアジア数カ国の人々と交流し、みんなで作り上げたミュージカル『ナガランド』に参加した時からなのです。
プロになって日本各地をまわって歌を歌って15年。
外の国に出向いて歌を歌ってきて10年。
まだまだ何かを成し遂げた実感なんて持てません。それはまだ未来にあります。
ただ今回のヨーロッパ、ロシア、大阪、東京のツアーを経て、一つのことを確信しました。それは「夢は果てしなく遠くにかかる虹の向こうにあるのではなく、しっかりとした足取りで確実な道筋をたどっていけばいずれ夢にたどり着けるはずだ」ということ。
まだまだ夢は遠くにあるのかもしれないけれど、そう確信したことはとても大きなこと……。
全公演、どれも思い出深くて最高のステージだった。
中でも大阪のショーは自分にとって今まで味わったことのない感触を完璧に得ることができた。なにか大きな手のひらの上で、何の束縛もなく、邪念も持たず、心と体が100%解放されてパフォーマンスしていた気がする。背中に羽根が生えているような気がした。バンドも最高の信頼関係の中にありました。
東京はファイナルだったせいか、コンサート中、様々な思い出が次から次へと込み上げてきて、心がふわふわ空気の上に漂ったまま最後の曲の前まで過ぎていったけれど、メンバースタッフ、そして観に来てくれたみんなと一つになって作り上げた、まさに「これぞライブ!」と言えるものになりました。
本当にありがとう!
東京の日にステージの上から言ったとおり、
俺の心の中にはかけがえのない大切な宝物がたくさん詰まっているけれど、
もう決して振りかえらない。
残された人生をじっくりと歩んで行くのではなく、
全速力で駆け抜けていきたい。
3月6日 2005年
宮沢 和史
TOKYO FMの朝の番組『6Sense』で3月28日から4月1日までオンエアされていた宮沢和史 MIYAZAWA-SICK特集のトークが、TOKYO FMの「WEB RADIO」内「GLOBAL BOX」というコーナーで聴けます。3月29日にはCATIA(フランス)の、30日にはトメック・マコビェツキ(ポーランド)の、31日にはディアナ・アルベニナ(ロシア)の貴重な国際電話インタビューも聴くことができます。
また、宮沢和史の新曲「ひとつしかない地球」のオンエアが同じくTOKYO FMで始まっています。同曲は4月22日(金)日本武道館で開催の“コスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサート”のテーマソングになっています。4月1日(金)発行のTOKYO-FMのフリーペーパー『80』に宮沢和史のインタビューが掲載されています。こちらで読むことができます。
4月4日に宮沢和史が出演したTOKYO FM『Beautiful』でのトークを一部紹介します。
―――ヨーロッパの寒さについて
なかなかラジオで伝えにくいものなんですが、モスクワがいちばん寒いだろうと、みんなモスクワに照準を合わせて、そこまでホッカイロとか使い切らないよう残しておこうとか言ってたんですが、最初のパリからみんな使い切っていました。フランスの次の国、ブルガリア、ポーランドも常に雪が降っていました。ただ、日本の雪と違うのは結晶で落ちてくるんですね。乾いてるし、寒いから結晶のまま溶けないので、雪道を歩いても靴も汚れないし、雪だからといってストレスはありませんでした。
4月4日に宮沢和史が出演したTOKYO FM『Beautiful』でのトークを一部紹介します。
―――「ひとつしかない地球」について
世界中にはいろんな人がいて、ひとつしかない地球上で生きているのだから、お互いの差異を認めながら仲良くしていこうというテーマで、子どもたちに作った歌だったんです。僕のソロ・プロジェクト(MIYAZAWA-SICK)もすごくこの歌に象徴されています。実際にこの曲はヨーロッパ各国をツアーしながらその町で知り合ったシンガーとスタジオに入って、少しずつ歌ってもらって、次の町へ行ってまた録音して、最後に東京でひとつの歌に仕上げてと、いろんな人と関わり合いながら作っていったんです。歌詞は、僕が書いた(日本語)詞をみんな自分なりに母国語にアレンジして、力強いですよね。「訳す」というよりは自分たちがまた作る、言いなおすというかね。日本語のパートも、スタジオに行く前にみんな練習してきてくれていたみたいで、発音もちょっとした部分を直せば――「地球(ちきゅう)」とか言いにくいじゃないですか――そういうところだけ直せば完璧なんですよね。シンガー、音楽家は耳がいいなと思って。ジャンルも年齢も国も全然違うシンガーたちが一曲の中で集まる、とっても珍しいことだと思います。
シングル「コシカ/ひとつしかない地球」の発売日、4月20日(水)に、東京・LIQUIDROOM ebisuでの宮沢和史ライブが決定しました。公演名は宮沢和史 presents “TOKYO MEETING”。ヨーロッパツアーで共演したCatia(フランス)、Night Snipers(ロシア)、Tomek Makowiecki(ポーランド)も出演、MIYAZAWA-SICKのライブだけでなく、彼らのライブもたっぷり楽しめます。アースデー・コンサートの日本武道館とは一味違う、まさに“MIYAZAWA-SICK'05”ヨーロッパツアーをぎゅっと凝縮したような夜になりそうです。打ち上げパーティーに参加するような気分で来てください。オールスタンディングの会場で大いに盛り上がりましょう!
3月28日(月)から4月1日(金)まで、TOKYO FMの朝の番組『6Sense』(午前6時〜9時)内、6時台前半の「GLOBAL VOX」のコーナーでMIYAZAWA-SICK'05ツアー特集がオンエアされています。時間は約10分間程度の予定。放送エリア内の方はもちろん、エリア外でも番組サイト内の「WEB RADIO」というコーナーで、トークをお聴きになれますので、ぜひチェックしてください。
また、宮沢和史の新曲「ひとつしかない地球」のオンエアが同じくTOKYO FMで始まっています。同曲は4月22日(金)日本武道館で開催の“コスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサート”のテーマソングになっています。4月1日(金)から配布されるTOKYO-FM発行のフリーペーパー『80』(配布場所はこちら)は宮沢和史が表紙。「ひとつしかない地球」、そしてヨーロッパツアーについてのインタビューが掲載される予定です。
3月16日にオンエアされた音楽番組『FAR EAST SATELLITE』でのMIYAZAWA-SICK特集のトークを番組サイト内のこちらで読むことができます。
MIYAZAWA-SICKコーラス、クラウディア大城による“MIYAZAWA-SICK '05”ツアー日記がスペイン語サイト内のこちらのページでスタートしました。現在はツアー2カ国目のブルガリアまで。日本語訳は今後公開の予定です。クラウディアはアルゼンチン・ブエノスアイレス生まれの沖縄系2世。2002年にアルゼンチンで大ヒットしたアルフレッド・カセーロの歌う「SHIMAUTA」に参加。2002年6月、カセーロとともに来日し、同年大晦日の『NHK紅白歌合戦』への出演を機に日本に移住。その後、THE BOOMのツアーやMIYAZAWA-SICKへ参加しています。
高野寛によるMIYAZAWA-SICKツアー日記が2月25日渋谷公会堂分で完結しました。ぜひご覧になってください。
昨年9月リリースの高野寛のベストアルバム『相変わらずさ』特設サイトには宮沢和史のコメントが掲載されています。昨年5月、渋谷La mamaでの高野寛+THE BOOMによる「hibiki」ライブ映像はこちらで見ることができます。
4月22日(金)、東京・日本武道館にて開催される“コスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサート”に宮沢和史が出演します。このコンサートは4月22日の「アースデー」に毎年行なわれる地球環境保全をメッセージする活動のメインイベント。音楽を通して「アースコンシャスから地球を愛し、感じるこころ」を伝えていくことがテーマの、このコンサートの今年のサブタイトルは宮沢和史の新曲のタイトルでもある「ひとつしかない地球」です。宮沢和史はMIYAZAWA-SICKとして出演します。
コスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサート
〜ひとつしかない地球〜
4月22日(金)東京・日本武道館
出演=東京スカパラダイスオーケストラ、一青窈、宮沢和史 他
開場=18時/開演=19時
チケット=5,000円(税込)/親子ペアシート8,000円(税込)
一般発売日=3月26日(土)
お問合せ先=ディスクガレージ 03-5436-9600(平日12時〜19時)
※親子ペアシートは、大人と中学生以下の子供のペアが対象となります。一般チケットを購入後、当日、座席指定券と交換いたします。
※JFN加盟全国民放FM38局で生放送及び世界各地へ中継予定。
“MIYAZAWA-SICK '05”ツアー中、ヨーロッパ各国で宮沢和史と共演する現地のミュージシャンとひとつの曲がレコーディングされていきました。宮沢和史作詞作曲による新曲「ひとつしかない地球」。ツアー最初の訪問国フランスではCATIA、ブルガリアではKiril Marichokov、ポーランドではTomek Makowiecki、ロシアではDiana Arbeninaが、それぞれの言語と日本語でレコーディングに参加しています。
「コシカ」はディアナ率いるロシアのロックバンドNight Snipersの作品ですが、この曲を気に入った宮沢は昨年12月にモスクワで彼らと一緒にレコーディング(そのバージョンはすでにロシアで発売)。今回は東京で新たにMIYAZAWA-SICKのメンバーらとレコーディングした、宮沢和史の日本語詞による新バージョンです。
高野寛のツアー日記に2月17日、18日に行なわれたレコーディングの様子が描かれています。ヨーロッパ各国でのレコーディングについては宮沢和史ヨーロッパツアーblogや、このMIYAZAWA-SICK '05 travelogueをご覧ください。
1月28日、フランス・パリからスタートしたツアー“MIYAZAWA-SICK '05”、6カ国目の日本でツアー・ファイナルです。2月23日(水)大阪・フェスティバルホール、2月25日(金)東京・渋谷公会堂。ツアーのこれまでの軌跡は宮沢和史ヨーロッパツアーblogや、このMIYAZAWA-SICK '05 travelogueをご覧ください。
2月23日(水)大阪・フェスティバルホール、2月25日(金)東京・渋谷公会堂で販売するMIYAZAWA-SICK '05のオリジナルグッズをこちらで発表しています。ヨーロッパの各公演で販売され、好評を博したTシャツ2種類に加え、新たなグッズを製作。今回も全アイテム宮沢和史監修です。
通信販売の受付もスタートしました。ぜひご利用ください。
2月22日に発売された雑誌『小説新潮』3月号に宮沢和史の連載エッセイ「言の葉摘み」第19回が掲載されています。ヨーロッパ・ツアー中の2月5日、ポーランド・ヴロツワフのホテルで書いた原稿です。この日、宮沢は前夜ライブが行なわれたウクライナとの国境にある町プシェミシルからこのヴロツワフまで、バスで約10時間の旅をし、その途中でアウシュビッツを見学しています(宮沢が撮影したアウシュビッツの写真はこちら)。アウシュビッツで感じたこと、そしてポーランドという国で「島唄」を歌うことが自分にとって特別であることの理由を書いています。
音楽雑誌『ラティーナ』の宮沢和史連載「音の棲むところ」。現在発売中の3月号のタイトルは“「旅音楽人」MIYAZAWAが描く音の地図”。これは宮沢がブルガリア・ソフィア滞在中に綴ったもの。パリ公演や、新曲「ひとつしかない地球」のレコーディングなど、ツアー序盤の出来事を中心に書かれています。新曲については、〈ところで今回のツアーにはコンサート以外に、もう一つ目的がある。実は僕の新曲「ひとつしかない地球」のボーカル録音を各国の友達のシンガーたちと行ないながらまわっているのだ。ハードディスク録音が主流となった今、僕みたいな「旅音楽人」は仕事が驚くほど楽になった。データが入ったCD-Rを一枚持っていけばそれですむ。それぞれの母国語と日本語が混ざり合い、すてきな曲にすでになりつつある〉と書いています。
宮沢和史 MIYAZAWA-SICKのライブ映像が収録されたDVDはこれまで2タイトル発売されています。2003年1月にリリースされたDVD『MIYAZAWA-SICK』には2002年1月、ZEPP TOKYOでのライブを収録。2003年夏のヨーロッパ・ツアー(ポルトガル・ポーランド・ドイツ)はドキュメンタリーDVD『二十一世紀の音霊』に収録。2004年夏の南米ツアーについてはこちらに約15分間のダイジェスト映像を公開しています。
2月12日、ロンドンでのライブを終えたMIYAZAWA-SICKは翌日のフライトで帰国。14日夕方、成田空港に到着しました。日本でのライブは2月23日(水)大阪・フェスティバルホール、2月25日(金)東京・渋谷公会堂です。
以下は成田空港でのtatsuのコメントです。〈モスクワ2日目の(クラブでの)ライブは、若者中心で深夜にもかかわらず大盛況。初日(劇場でのライブ)とは全然違いました。最後の「島唄」ではディアナだけじゃなくて、ナイト・スナイパーズのギタリストも参加して、高野さんとギター・バトルしてました。でも2日間だけでは僕らはモスクワのなんたるかを知ることはできないですね。ロシアはまだまだ知らない国だなあと思います。ロンドンは日本人がたくさん観に来てくれて、最初から「盛り上がるぞ」という構えがあって、すごい盛り上がりでした。〉
出発から帰国までの詳しいレポートは宮沢和史ヨーロッパツアーblogにてどうぞ。高野寛のツアー日記でもロシアまでの記述がアップされています。ロシアのラジオチャートでは「Симаута(島唄)」が4位に浮上。
宮沢和史英語サイトのこちらに、フランス、ブルガリア、ポーランド、ロシア、イギリスでWEB上に掲載された“MIYAZAWA-SICK '05”記事をまとめて紹介しています。
MIYAZAWA-SICK '05のライブ会場で昨年イギリスでリリースされたアルバム『TOKYO STORY』とMIYAZAWA-SICK '05のオリジナルTシャツを販売しています。Tシャツは2種類。デザインは下の画像をご覧ください。大阪・東京公演でも販売する予定です。
ポータルサイト・exciteで宮沢和史・ヨーロッパツアーblogが始まりました。ツアーに同行しているマネージャーが日々、写真とテキストでツアーの模様を綴っていきます。さらに2月にはexcite musicで宮沢和史特設サイトがオープンする予定です。楽しみにお待ちください。
宮沢和史による写真blog「MIYAZAWA-EYES」、高野寛によるツアー日記ページとともにチェックしてください。
MIYAZAWA-SICKメンバー、高野寛によるツアー日記が高野寛サイト内に開設されました。ツアー中、日々更新されていきます。
昨年夏のMIYAZAWA-SICK南米ツアーについて高野寛が語ったページはこちらです。
1月22日、MIYAZAWA-SICKリハーサルの3日目。MIYAZAWA-SICKでは初演奏となる曲の間奏について相談するルイス・バジェとマルコス・スザーノ、今福健司。その言語はというとキューバ人のルイスがスペイン語でスザーノに提案し、ブラジル人のマルコスがポルトガル語で答えを返す。そのやりとりを即座に沖縄系アルゼンチン人のクラウディアが日本語でみんなに伝えるという具合。宮沢和史も日本語、英語を駆使してリハーサルは進んでいます。様々な言語が飛び交うスタジオですが、強力なグルーヴが次々に生まれています。
ブラジルからマルコス・スザーノとフェルナンド・モウラが1月19日に来日し、MIYAZAWA-SICKは全員が都内に集結。本日からツアーに向けたリハーサルがスタートしました。2003年のヨーロッパ・ツアーでは全員が集まったのはリスボン(ポルトガル)。昨年の南米ツアーでもブエノスアイレス(アルゼンチン)で集合という多国籍バンドですが、今回は東京から全員でパリへ向かいます。リハーサル・スタジオでは宮沢がまず全メンバーを前に、先月から今月上旬にかけて訪問したロシア、ブルガリア、ポーランドの印象を話しました。リハーサル写真はこちら。各国で高い注目を集めているMIYAZAWA-SICK。1月28日からツアーが始まります。
フェルナンド・モウラの来日は1998年の“Sixteenth Moon”“AFROSICK”ツアー以来。
“AFROSICK”東京公演での「BRASILEIRO EM TOQUIO」(ブラジル人・イン・トーキョー)のライブ映像はこちらで観ることができます。
フランス、ブルガリア、ポーランド、ロシア、イギリス、日本の6カ国をまわる宮沢和史ソロプロジェクトMIYAZAWA-SICKのツアーが1月28日(金)パリからスタートします。バンドメンバーやツアー詳細はこちら。
ヨーロッパ各国では現地のミュージシャンと共演します。フランス公演では、ポルトガル語で「島唄」をカバーしているCATIAがゲストに、ポーランドでは2003年のMIYAZAWA-SICKワルシャワ公演も観に来てくれた、やはり現地で「島唄」をカバーしているトトメック・マコビェツキ、モスクワではディアナ・アルベニナが率いるロックバンドNight Snipersなど。日本語でチケット情報ページが特設されているのはブルガリア公演とポーランド2公演です。
大阪、東京公演のチケットは発売中です。
MIYAZAWA-SICK '05
1月28日(金)フランス・パリ 日本文化会館
1月29日(土)フランス・パリ 日本文化会館
2月1日(火)ブルガリア・ソフィア 国立文化宮殿
2月4日(金)ポーランド・プシェミシル プシェミシル市体育館
2月6日(日)ポーランド・ヴロツワフ IMPART HALL
2月9日(水)ロシア・ モスクワ ゴーリキ記念モスクワ・アカデミック芸術劇場
2月10日(木)ロシア・モスクワ クラブB2
2月12日(土)イギリス・ロンドン ICA Theatre "Future World Funk Night"
2月23日(水)大阪・フェスティバルホール
2月25日(金)東京・渋谷公会堂
大阪公演詳細
2月23日(水)大阪・フェスティバルホール
開場=18時15分/開演=19時
チケット=6,300円(全席指定・税込)
一般発売日=12月19日(日)
問=キョードー大阪 06-6233-8888(10時〜19時)
東京公演詳細
2月25日(金)東京・渋谷公会堂
開場=18時15分/開演=19時00分
チケット6,300円(全席指定・税込)
一般発売日=12月19日(日)
問=ディスクガレージ 03-5436-9600(平日12時〜19時)
【大阪・東京公演】※6歳未満入場不可。※小・中・高校生のお客様は、割引いたします。チケットをご購入の上、当日入場時に身分証明書を提示してください。3,000円をご返金いたします。
宮沢和史撮影による写真blog「MIYAZAWA-EYES」がオープンしました。宮沢が撮影した写真とテキストが日々更新されていきます。写真へのコメントもお送りください。
MIYAZAWA-SICKのボーカル、クラウディア大城。アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれの沖縄系2世。2002年にアルゼンチンで大ヒットしたアルフレッド・カセーロの歌う「SHIMAUTA」に参加。2002年6月、カセーロとともに来日し、同年大晦日の『NHK紅白歌合戦』への出演を機に日本に移住。その後、THE BOOMのツアーやMIYAZAWA-SICKへ参加しています。「島唄」との出会いによって大きく人生が変わったひとりです。2月25日、ツアーファイナルの渋谷公会堂、開演前のクイック・インタビューです。
―――ロンドンからの帰国後、東京でMIYAZAWA-SICKのメンバーと「コシカ」「ひとつしかない地球」をレコーディングしていますよね。
クラウディア 毎日会ってたから2、3日会ってないだけで「久しぶり」って感じでしたね。「ひとつしかない地球」はずっとヨーロッパで歌ってきていたので、レコーディングでもみんな気持ちが入りやすくて、あまり何回も録り直すことなくできました。
―――「コシカ」を歌ったのはロシアだけですか?
クラウディア ロシアではMIYAさんだけがディアナのバンドに入って歌いました。レコーディングは楽しかったです。高野さんと一緒にコーラスするのも初めてだったし。楽しくできたかな。
―――ポーランドでトメック・マコビェツキと「島唄」を歌うシーンを観たのですが、クラウディアも歌うパートがありましたよね。トメックが歌う「島唄」にももちろん感じましたが、クラウディアの歌う「島唄」にも強い想いを感じました。トメックも「島唄」との出会いがなかったらあの共演はなかったはずですが、クラウディアにとっても特別な歌ですよね。
クラウディア そうですね。「島唄」がなかったら私はここにいないということですから。アルゼンチンで初めてカセーロと一緒に歌って、次にMIYAさんと一緒にアルゼンチンで歌って、それがきっかけで日本でTHE BOOMと一緒に歌えたし、こんなにいろんなところでこの歌を歌えるなんて思わなかったですね。
―――この歌を自分の国でカバーしているCATIAやトメック、ディアナの気持ちというのはクラウディアがいちばんよくわかるのかもしれませんね。
クラウディア 近いですね。たぶん、たぶん。CATIAも、ディアナも、トメックもみんな日本に来て一緒に歌うことができたらなあと思います。
MIYAZAWA-SICKで二胡とバイオリンを担当する土屋玲子。一昨年の極東ラジオでは宮沢和史とともに二胡の魅力を話していました。今回は2月25日、ツアーファイナルの渋谷公会堂、開演前のクイック・インタビューです。
―――2003年のMIYAZAWA-SICKに初めて参加して、今は3年目。バンドに対する意識も変わりましたか?
土屋 初めて参加したときはアレンジ的な問題とか悩みがあったけど、だんだん溶け込み方がわかってきたような気がしていて。あるときはリズムに沿ったり、あるときは上物(うわもの)の楽器としての役目を果たしたり。ルイス(トランペット)とのコンビネーションとか自分なりにだんだんわかってきて、まだ先はあると思うけど完成されてきてるなと思います。
―――ツアー前の東京でのスタジオ・リハーサルでもルイスといろいろ話しをしていましたね。
土屋 最初の年はまだそれがうまくできてなくて、どうしたらいいんだろうという気持ちがあったんだけど、ルイスもこっちに歩みよってくれて、私も歩みよってうまいこといってるんじゃないかなあって。
―――バンド内でメンバー全員、いろんなところで意見の交換がされてるんですよね。
土屋 前よりもバンドの中でそういうことが行なわれるようになったんじゃないですかね。見えてくる部分がそれぞれにあるんじゃないかなあ。みんなそれぞれ感じたことがあれば「〜だけどどう思う?」って話したりしますね。
―――ヨーロッパ・ツアー中、土屋さんだけは二胡とバイオリンを常に手持ち、機内持ち込みで移動していて、フライトが多い今回のツアーは大変だったんじゃないですか?
土屋 そうですね。楽器も移動移動で疲れちゃって、だんだん音が変わって。でもその土地で鳴る音、ヨーロッパは乾いてるからバイオリンの鳴りがよかったですね。二胡は東洋の楽器だなと思いました。湿り気がないとかさかさしてきちゃう。
―――新曲「ひとつしかない地球」のレコーディングでも二胡を弾いてますよね。
土屋 ライブではバイオリン、レコーディングでは二胡を弾いてます。「ひとつしかな地球」のレコーディングはストリングスも入っていてメロディックなので、さらに二胡と(宮沢和史の)三線が違うことをしたんじゃ支離滅裂になっちゃうから、まずMIYAさんが三線でフレーズを弾いて、私はそれに寄り添って同じメロディをなぞったんです。一緒に動いてそれがまたいい味になってるんじゃないでしょうか。
―――最後に、今回のツアーでいちばん印象に残ってることはなんですか?
土屋 やっぱり各国のお客さんの反応かな。言葉は全然通じないんだけど、音楽は世界共通で人の心を揺さぶるんだなあって、いろんな国に行って思うことができたのがよかったですね。国によって人の反応が違うんですよね。ロシアなんて最初は静かだったのにそれがだんだん笑顔になっていくのを見るのが楽しかった。ブルガリアやポーランドは初めから楽しそうに聴いてた。お国柄で違うなあって思いました。
キューバ出身のトランペッター、ルイス・バジェ。2月25日、“MIYAZAWA-SICK 05”ツアーファイナル、渋谷公会堂でのライブ直後のインタビューです。
―――ツアーを終えての感想を。
ルイス ツアーに出る前はそれぞれの国、どんなお客さんかなあと思っていたけど、お客さんは一緒です。MIYAZAWAの曲を知らない人でもコミュニケーションとって、手拍子があったり、歌ったり、「島唄」も一緒に歌って感動したね。MIYAZAWA-SICKはワールド・ミュージックみたい。いろんな味が入っていて面白かった。
―――ブラジル人のマルコス・スザーノやフェルナンド・モウラ、それにアルゼンチン人のクラウディアもいたり、言葉もバックグラウンドも同じバンドの中で「いろんな味」がありますよね。
ルイス でも、困ったことはないですね(笑)。僕もこんなバンドは初めてだったんですけど、いろんな国の人、それぞれの国の音楽が(バンドの中に)あって、なんだかわからないけど合ってる。言葉じゃなくて音楽で喋ってる。パンディロが始まったら僕はラッパを吹くとか、なんかうまくいってる。音楽は世界中一緒ですね。言葉もいろいろで大変だったかもしれないけど、それで強くなったし、うまくコミュニケーションとって素晴らしかった。
―――このツアーでステージ以外のことで印象的だったことは?
ルイス ポーランドをみんなで旅したこと。アウシュビッツにみんなで行って、みんな言葉が出なかったけど、それぞれ想いを持つことができた。
―――ヨーロッパ各国ではゲスト・ミュージシャンとの共演がありましたがいかがでしたか?
ルイス それぞれの味、それぞれの歌い方があって良かったと思います、一緒にやって。自分は最初はできるかなと思ってたんだけど、みんな言葉が違っても音楽は素晴らしかった。
―――4月には武道館で再会しますね。
ルイス すごくうれしい。4月になったらまたMIYAZAWA-SICKは変わるんじゃないですかね。みんなの生活があって久しぶりに会うとまた新しいアイデアも出てくるだろうし、すごく楽しみです。
2月14日、帰国したMIYAZAWA-SICK一行を出迎え、都内に向かう成田エクスプレス車内での高野寛クイック・インタビューです。高野寛インタビューはポーランド・プシェミシル以来。高野寛のツアー日記もあわせてご覧ください。
―――ロンドンから帰国の際はバスが来なくて危うく飛行機に乗り遅れるところだったそうですね。
高野 あれはヤバかったですね。でも、ようやくバスが到着して、みんなが荷物を運ぶときのスピードったら(笑)。あれはもうチーム・ワークの総決算だったね。すごい速さだった。
―――他にはツアー中、トラブルはなかったんですか?
高野 あのバスほどヤバいって感じはなかったかな(笑)。確かに日本でのツアーを基準にしたらトラブルなんて数え切れない状況だったかもしれないけどね。ツアースタッフも言ってたんだけど、現地の人がチケットを買ってくれて、ほとんどすべての会場が満員になるっていうこと自体が、それだけで十分成功だなって。それ以外のことは、「ああ、今日はこういう状況なんだな」って思ってみんなでクリアしていくっていうのが当たり前になっているから。それぞれのポジションで、大なり小なりやりづらい日があったり、楽器が……ということはあったかもしれないけど。本当にひとりひとりの役割がすごく重要だなって。
―――高野さんのこのヨーロッパ・ツアー中のベスト・フードは?
高野 ブルガリアのピザ。みんなもそう言ってる。でも、僕は好き嫌いがないので、みんな美味しかった。
―――ベスト・ドリンクは?
高野 プシェミシル(ポーランド)で飲んだウォッカはうまかったなあ! あと、ブルガリアのワインが美味しかった。
―――ベスト・パーソンは?
高野 モスクワでガイドしてくれたタチアナ先生。タチアナ先生は、すごく頭がよくて、やさしくて、質問すると何でも答えてくれる。あと、Night Snipersのギターのイヴァン。共演したミュージシャンはみんなよかったよ。トメックも、キリルさんも、CATIAも。トメックはああ見えて(高野寛曰く「マット・ディロン系・美男子」→「よく見たらそれほどマット・ディロンに似てないが好男子・美男子」)、反骨精神がある人だからね。そのへんがおれたちの感覚にフィットしたんじゃないかな。
2月6日、ポーランド・ヴロツワフ。ライブ直前の会場楽屋での、MIYAZAWA-SICKドラマー、ゲンタへのクイック・インタビューです。ゲンタはオルケスタ・デ・ラ・ルスのメンバーとして活躍中です。
―――MIYAZAWA-SICKについての感想を教えてください。
ゲンタ 20代のメンバーもいるけど、40過ぎのメンバーもいる中で、俺たちうまくなってるんだよ(笑)。個人個人のプレイもそうなんだろうけど、バンドって時間がかかるんだろうなって思うんだよね。このバンドをやろうと言われて誘われたときからもう4年ぐらいでしょ。その年月は必要だった年月だったろうなと今回しみじみ思ってる。全員の音の溶けあい方が全然違うんだよね。役割もはっきりしてきたと思うし。このバンドは誰かがリーダーだとか、誰かがアレンジャーとかでひっぱっていくバンドじゃなくて、ひとりひとりが持ってる能力や意見をかみ合わせながらやっていくバンドだから、その中で自分たちの個性を活かせるためにこの期間が必要だったと思うんだよね。
―――ゲンタさんが初めてMIYAZAWA-SICKでツアーを行なった2001年に、大阪の楽屋で同じようにバンドについての感想を訊いたら、「特に何も言うことないから」って断られたんです。
ゲンタ あのときは本当にわからなかったんだよね。MIYAに誘われたからやってたんだし、ほとんどのメンバーのことを知らなかったし、まず俺がどういう人間なのかみんなにわからせなくちゃいけないなと4年前の俺はそう思ったし、MIYAの音楽、MIYAがやりたいことを完全には把握してなかったと思うし。俺としてみればあのときのライブは自分ができるプレイをただひたすらやったということであって、思い入れも何もなかったんだよね。MIYAが俺を熱望してくれたということに応えようというのがいちばんだったから。でも、やっぱり何年も経ってみるとさ、今は各メンバーの想い、いちばんでかいのはMIYAの想いだけど、それをちゃんと拾うことはできてると思うし、それを実現するために次に繋げるために、自分がこのバンドでどういうふうに振る舞ってどういう音を出してと、考えられるようになった。自分のポジションが自然にできてきたのかなと思ってる。だから初めてやったときとはえらい違う。まあ、俺の場合、永遠のアマチュアなんで(笑)、言われて音楽演奏してお金もらって帰るというスタンスじゃできないタイプだから。関わっていかないと仕事を全うした気にはならないのね。「関わる」には一回ぐらいじゃわからないよね。年月がかかることだと思う。俺たちがこのバンドでいろいろ経験したことを踏まえた上で、今年、みんなで久々に顔を合わせて音を出したときの充実感ってのは(他に)ないなあ。このバンドはめちゃめちゃいいやと思って。いちばんいいなと思ってるよ、今。俺も何年もやってる中で。
―――2年前のヨーロッパ・ツアーの最終日、ドイツ・チュービンゲンでは悔しい想いをして、でもその夜みんなで「またすぐヨーロッパをツアーしよう」と誓ったのが、翌年ではなかったですが実現しましたね。
ゲンタ 悔しかったというか、正直俺はあんなもんかなと思ってたのね。俺はそういう覚悟をして、海外のツアーをやってるし。「宮沢和史」という名前でライブをやって、途中で演奏打ち切りとかサウンドチェックもろくすっぽやらせてもらえないというああいう状況は日本では絶対ありえないと思うけど、海外においては宮沢和史を知らない人が多い。知らないところに俺たちを無理矢理にでも教えにいかなくちゃいけないわけで。そうやって考えてみると、今回ほとんどのライブでいい状況でやらしてもらってるけど、あんなこと(ドイツ)があって当たり前だと思ってるわけ。一度や二度はあるし、これから先も絶対あると思うんだよね。このバンドが世界でやっていく上では。だから教訓よりも「覚悟」だよね。ああいった体験を経て覚悟を決めていくことが必要だと思うんだよね。
―――日本で待ってるファンにメッセージをお願いします。
ゲンタ 日本で待っているファンはMIYAのファンなんだろうけど、その多くはTHE BOOMのファンだと思うんだよね。こういう言い方が適切かどうかわからないけど、俺は「愛人」だと思ってるの。MIYAZAWSA-SICKは愛人であるべきだと思ってるし。浮気じゃないよ。浮気じゃなくて愛人。本妻はいるんだ、THE BOOMっていう本妻が。そこが戻るところだと思うしね、MIYAが。でも愛人の意地ってのがあるんだよ。愛人は別に喰わしてもらってるわけじゃなくて、自分で喰えてるわけだ。その代わり、結婚はできないんだ(笑)。そんな意地があってさ、戻るべきところじゃないだろうからこそ燃え尽きる良さというのがあると思うんだよね。家庭にたとえて申し訳ないけど、家庭って燃え尽きる場所ではないじゃない? 安心する場所であったり、長く続けていくところだからさ。俺たちは愛人なんで一回一回いかに燃え尽きるかしかない! そんなことを俺が言ってたな、なんてことを思って観てくれるとTHE BOOMとまた違った面白さがあると思うんだけどね(笑)。
ブラジル人キーボーディスト、フェルナンド・モウラと宮沢和史は1997年、ブラジルでレコーディングされた宮沢のセカンド・アルバム『AFROSICK』で知り合いました。フェルナンド・モウラ、そしてMIYAZAWA-SICKのもうひとりのブラジル人ミュージシャン、マルコス・スザーノと宮沢との関係史はこちらで。以下は2月8日、ポーランド・ヴロツワフのホテルで朝食をとりながらのクイック・インタビューです。
―――フェルナンド・モウラさんにとっては1998年の“Sixteenth Moon”“Afrosick”ツアー以来、昨年の南米ツアーは久々の宮沢バンドへの復帰でしたね。現在のMIYAZAWA-SICKについてはどう感じて
いますか?
モウラ 自分が関わっている他のさまざまなプロジェクトとMIYAZAWA-SICKは違う。僕らはバンドだ。MIYAZAWAはコンポーザーであり、シンガーであり、ステージでは中心になる。でも僕らは「バンド」だと感じてる。全員がこのバンドをプロデュースをしながら、プレイしている。“Sixteenth Moon”ツアーのときも素晴らしいミュージシャンたち、エクセレントなプレイヤーたちの集まりだったが、ミュージシャン同士、今ぐらいインタラクティブなレベルではなかったかもしれない。去年のアルゼンチンとブラジルのツアー、そして今回のツアーで僕らは「バンド」になった。本当に素晴らしいバンドだ。
―――日本で待っているファンに向けてコメントをお願いします。
モウラ このツアー中に、ショーはもっともっとタイトにもっともっと音楽的に進化している。僕らはバンド内にいろんな言語があり、文化があり、音楽的背景がある。そのミクスチャーを日本のオーディエンスに楽しんでもらえると思う。
2月6日、ポーランド・ヴロツワフ。ライブ直前の会場楽屋でのクイック・インタビューです。パーカッショニストの今福健司は1996年のTHE BOOMブラジル・ツアー、1997年のヨーロッパツアーなどから、THE BOOM、宮沢和史のすべての海外ツアーに参加。THE BOOMのアルバム『極東サンバ』ではジャケットに登場しています。
―――フランス、ブルガリア、ポーランドの印象を
今福 (パリの)一日目は着いたばかりだったし、実は「いまいちかな」って感じだったんですけど、二日目はバッチリでお客さんも盛り上がってすごくいいライブでしたね。このままどんどん行くぞと思いました。ブルガリアもよかった。
―――ポーランド・プシェミシルはどうでした?
今福 シオジリって感じでしたね。
―――え?
今福 長野県の塩尻。日本で言えばそんなような(笑)。美しい町でしたね。でも正直、最初の4、5曲、お客さんの反応を見て「大丈夫かなあ?」と思ったんですが、だんだん盛り上がってよかった。
―――現在のMIYAZAWA-SICKについてどう思っていますか?
今福 まだまだこれからもっとよくなりますね。このバンドになってまだ4年ぐらいですか。テクニック的にもまだまだ上がってくと思うし、僕自身も発展途上の人間だと思うんですね。今の段階でもレベルが高い、世界に通じるバンドだと思うんですが、さらに個々が素晴らしくなればもっともっと良くなると思いますね。
―――このバンドの強さはどこですか?
今福 いろんなタイプの音楽をひとつのバンドの中で試していること。普通のバンドならロックならロック、サルサならサルサ、ブラジルならブラジルとひとつの音楽を追究していくのがほとんどだと思うんですけど、このバンドの中にはいろんな要素があって、メンバーにもブラジル人もキューバ人もアルゼンチン人もいる。そのごちゃまぜなところがステージで随所随所に表れる。そういう場面がもっと多くなればもっとすごくなる。逆に、何をやってるのかわからない状態が……。
―――そんなときあるんですか?
今福 そういうときがあっちゃうとやばいかなと思う。でもうまく流れ出すと、このバンドはすごいと思う。フランスからやってきてさらに強くなってきていると思うんで、ロンドンに行ったときにはもっと結束しているだろうし、日本では爆発しますね。
MIYAZAWA-SICK一行は2月7日、ポーランド・ヴロツワフからワルシャワ経由でロシア・モスクワへ移動。以下はフライト待ちの合間にヴロツワフ空港で行なった宮沢和史インタビューです。
―――ポーランドの感想を。
宮沢 今回まさかこんなに多くの人たちが集まってくれるとは思っていなかったね。しかも「島唄」を歌える人がプシェミシルでもヴロツワフでもこれだけたくさんいるということは、1年半前のワルシャワでのあのライブが布石にはなってるのだろうけど、これは音楽がなせることだなと思いましたね。それと、プシェミシルからヴロツワフへの移動の間でみんなでアウシュヴィッツに行ったことによって、明らかに歌の内容や演奏が変わりました。俺の気持ちも以前とは違うし、「島唄」はもちろん、「ひとつしかない地球」も。歌というのは経験したあとには自分の中でも変わるんだなあということがわかりましたね。歌は不思議だなあって。
―――ポーランドではトメック・マコビェツキとレコーディングした新曲の「ひとつしかない地球」。こんな出会いの積み重ねによってつくられていく、大きな歌ですね。
宮沢 すごくシンプルな歌なんですけどね。シンプルがゆえにグッとくるんだよね、演奏していても。だんだん歌が成長していくのがわかるし。まさに歌ってるような、歌われていることも俺たちみんなで体験してるという不思議な気持ちだよね。歌にしたものをリアルタイムで感じながらヨーロッパの町をまわってる。昨日は特にあの歌がぐっときたなあ……。
―――次はロシアですね。
宮沢 ロシアはいちばんのターニング・ポイントでしょうね。今回のツアーでいちばん大きな国だし。
―――12月にモスクワに行ったときから、いろんなことが進展しますよね。「コシカ」のレコーディングがあり、ディアナの「島唄」がラジオのチャートに入り。
宮沢 ディアナとの出会いは大きいですね。彼女は彼女で日本に興味があって、自分の音楽を日本にアピールしたいという想いと、俺の想いがちょうど重なったんで。ふたりで組めば強いだろうしね。
ポーランドからロシアへ向かう移動日の2月7日、ポーランド・ヴロツワフ空港でMIYAZAWA-SICKベーシスト、tatsuにクイック・インタビューを行ないました。
―――ポーランドでの2公演を終え、これからロシアですがツアー中盤までの感想を教えてください。
tatsu 毎日が目まぐるしくて自分が今どこで何をやってるのかわからない状態ですね。一回一回のライブが全部完全燃焼中で、一回一回の観光も全部完全燃焼です。
―――2003年のヨーロッパ、2004年の南米、そしてこのツアー。バンドメンバーがほぼ固定されてここまでツアーをしてきて、今、MIYAZAWA-SICKはどんな状態ですか?
tatsu よりバンドになってきたんじゃないですかね。最初のうちは「スーパーセッション」というのもおこがましいのですが、MIYAに集められたメンバーがセッションするという醍醐味があったんですが、今は完全にバンドとして機能していて、よりオーガニックなものになっています。それはライブに如実に出ていて、互換しあっているし、この状況の中で、この状況だからこそ進化している。機材のこととか全然関係ないライブができています。
―――これまでの各国のゲストについてお伺いします。まずはフランスのCATIAさん。
tatsu 素晴らしいの一語に尽きます。何も言うことありませんね、ただただ素晴らしい。歌も素晴らしいし、包容力というか音楽を包み込む力も人間も大きい。音楽や人生すべてをエンジョイする才能がある。僕らにそれを強く伝えてくれた。
―――ブルガリアのKiril Marichkovさんは?
tatsu 「ブルガリアのカリスマ」と聞いていたので堅苦しいイメージもちょっとあったんですが、本番になったら彼自身、気持ちが入ったというか歌い方も全然リハーサルと違ったんで、僕らに刺激されて、僕らと一緒にやったことによって彼らしさも出してくれたんじゃないかなと思ってすごく嬉しかったですね。「Kiril節」という独特の節回しがあるらしいんですが、それが出たということはOKということで。彼はベーシストだったらしくて、終わったあと「Fenderのベースを俺はブルガリアでいちばん最初に買ったんだ」と自慢されて(笑)。
―――ポーランドを一緒に旅したTomek Makowieckiは?
tatsu いいヤツですね。昨日もなかなか帰らなかったね、名残惜しそうで。好青年。向こうの方が若い(22歳)けど、聴いてる音楽が近いからステージ上ではいちばんシンクロできたんじゃないかな。
―――ゲストとの共演が各国であるというのもそうですが、2年前のヨーロッパ・ツアーよりいろんな意味で上のレベルのツアーをしていますよね。
tatsu それは準備をしてくれたスタッフ、現地の人たちのサポートも飛躍的にアップしてるし、僕らのモチベーションも、前は「とりあえず行ってみよう」というところだったけど、今は「これは行けるな」というある種、確信犯的なところが出てきてる。MIYAは特にツアーをしながらレコーディングもしているからさらに確固たる気持ちになっていると思う。
―――各国で共演したミュージシャンとレコーディングしている新曲の「ひとつしかない地球」。昨日のTomekとの共演も素晴らしかったですね。
tatsu すごいよね。こうやって曲を作ることなんてあり得ないですね。今はデモ段階のオケに歌を録ってるけど、東京に戻ってからMIYAZAWA-SICKで新たにオケをレコーディングするんで、楽しみですね。
ポーランド2公演でMIYAZAWA-SICKと共演するトメック・マコビェツキ。2月4日、プシミシェルでのライブ当日、会場でのリハーサル直後にクイック・インタビューを試みました。トメックと宮沢和史のリハーサル写真はこちらです。
―――あなたが観に来てくれた、宮沢和史にとっても初のポーランドでのライブとなった、2003年のワルシャワ公演の感想を教えてください。
トメック それはグレイトな体験だった。アメイジングとしか言いようがないライブだった。あんなに多くの人がステージと共に歌っている光景を観たのは初めてのことです。いろんな音楽要素がミックスされたライブの内容にも驚きました。
―――あなたが「島唄」をレコーディングしていることを聞きました。なぜこの曲をレコーディングしようと思ったのですか?
トメック 初めてライブで「島唄」を聴いたときは、観客の反応に驚きました。会場中の全員が立ち上がり、一緒にあの歌を歌っていた。その光景が「島唄」を選ぶにあたって大きな影響を与えました。
―――先月、ワルシャワで宮沢と会ったときに、あなたはレコーディング中の「島唄」を宮沢に聴かせたそうですが、宮沢の反応はどうでしたか?
トメック 君のバージョンを聴くと僕はポーランドの森を連想するよ、と言っていました。
―――今日はこれから「島唄」の他に「ひとつしかない地球」という曲も宮沢と歌いますよね。
トメック 明後日、この曲を一緒にスタジオに入ってレコーディングすることになっています。日本語とポーランド語で。この曲は他の国のシンガーたちもレコーディングに参加してるんでしょ? ナイス・ソング。僕はこの曲が好きです。先月、MIYAZAWAにこのテープをもらってからもう2週間、何度も何度もこの曲を聴いています。
現在、ポーランド・プシェミシルに滞在しているMIYAZAWA-SICK一行。現地のスタッフからMIYAZAWA-SICKのギタリスト、高野寛へのインタビュー記事が届きました。こちらのリンクからお読みください。また、高野寛が自身のページで綴っているツアー日記では、パリ、ソフィアでのライブについて記されています。合わせてお読みください。
パリのMIYAZAWA-SICKライブを観た日本人から届いたメールの一部を紹介します。ありがとうございました。
〈1月28、29日のパリのコンサートに参加しました!! 私は南仏に留学中です。初日は念願のコンサートということもあって、興奮状態が続いてました。二日目のほうが、私も雰囲気を掴んでいたので楽しめたし、フランス人もより楽しんでいたように思います。宮沢さんのフランス語による「島唄」の説明は、私たち日本人には聞き取れました。二日目のほうが、説明も「merci」もきれいに言えていました。フランスの音楽はあまり激しいものがないのでフランス人に受け入れられるか不安でしたが、杞憂に過ぎなかったようです。今はイギリスのチケットが余っているかどうか問い合わせ中です。できることなら……今回のヨーロッパ最後のコンサートに参加したいです!!〉
もう一通。〈現在夫の仕事の関係で住んでいるブリュッセル(ベルギー)から、29日のパリ公演に行ってまいりました! チケットを取るのになかなか電話がつながらず、つながったときには立見席しか取れないような人気でしたが、結果的にはステージ前の空間が大きく空いていて、立ち見チケットのおかげでMIYAの音楽を間近に感じることができました。7、8年ほど前にTHE BOOMのコンサートに行ったときに見たMIYAよりも、もっともっと大きく、もっともっと歌の幅が広く、心に染み入ってくる豊かな声を感じることができたとても素敵なコンサートでした。残念ながら現地の人と直接言葉を交わさなかったのでどういう感想を持ったのかはわかりませんが、見ている限り私の前後にいたフランス人たちは、ゆっくりした音楽にあわせ気持ちよさそうに体を揺らしたり、激しいメロディーの時にはジャンプしたりとのりのりでした。コンサート終了後に販売されたCDも、フランス人が「今日歌った歌は入っていますか?」と聞きながら買っていました。MIYAの日本や沖縄に対する想いがどれほど伝わったかはわかりませんが、言葉以上のものを感じ取ってくれたのでは、と思っています。ちなみに、MIYAは英語とフランス語を駆使して想いが伝わるようがんばっていました! ヨーロッパにいてMIYAの音楽を直接楽しめるとは、思ってもいませんでした。わざわざ来てくれて、感謝の気持ちでいっぱいです〉
(2月3日追記)新たな感想が届いたのでその分を紹介します。〈日本に3年間住んでいた時に「島唄」を聞いて、とても懐かしかったのでコンサートに行きましたが、島唄の他に色々素晴らしい音楽を聴けて嬉しかったです。コンサートの後、友達と飲みに行って、気に入った曲のランキングをしましたら、だんとつで1位は「Mandala」でした。〉
〈とても心を揺さぶられるコンサートでした。宮沢さんの音楽に対する真摯な思いが伝わってきて、そこにいた観客は、人種を超え、一つになってステージに惹きこまれていたと思います。異国でのコンサートだという気負いもなく、媚びも無く、ストレートに音楽がみんなの心に届いて、心臓を素手でつかまれるような熱さを充分に感じることが出来ました。異文化に対して懐疑的になりがちなフランス人達も、理屈抜きに、ただ、宮沢さんの音楽に乗せられていったと思います。そうでなければ、アンコールを求めるあのわれるような声援は、決して起こらなかったはずです。会場を名残惜しそうに去っていく人、高まった気持ちをどこにぶつけたらいいか分からず、ただしゃべり続ける人、と反応は様々でしたが、みんな一様に幸せそうな顔になってたのが印象的でした。これからも、いい音楽を発信し続けていってください。素敵なコンサートをありがとう。〉
1月28日、パリ・日本文化会館でのツアー初日。チケットは完売。オープニングアクトはCATIA。ポルトガル語による「島唄」を含む5曲を歌いました。MIYAZAWA-SICKのステージはこの日は14曲+アンコール3曲。メンバーがステージを去ったあともアンコールを求め、声援を送り、足を踏みならす観客の熱さは大変なもので、再び登場した宮沢和史はCATIAを呼び込み、ふたりで新曲を歌いました。
現地でこの日のライブをご覧になった方は、ぜひ感想を boom-fc@five-d.co.jp にお送りください。
宮沢和史、MIYAZAWA-SICK一行は26日夕方、パリに到着しました。1月28日(金)、29日(土)はパリの日本文化会館で“MIYAZAWA-SICK '05”初のライブです。詳細はこちらで。パリ公演のゲストはフランス在住のブラジル人女性シンガー、CATIA。CATIAはポルトガル語、ボサノヴァ・アレンジで「島唄」をカバーしています。昨年12月、東京で行なわれたCATIAのライブには宮沢も観に行き、パリでの共演を約束しています。
フランスの音楽ニュースサイトでのパリ公演告知記事はこちらやこちらで。「ROCK NIPPON」という見出しで紹介されています。パリ公演のライブ評を見つけた方、もちろん実際にライブを観ての感想などを boom-fc@five-d.co.jp までお送りください。
宮沢和史MIYAZAWA-SICK全メンバーは1月26日午前、成田空港からパリに向け出発しました。成田空港での写真はこちら。また、宮沢和史自身が撮影した写真はblog“MIYAZAWA-EYES”にアップされています。今回のツアーのオープニングとなるパリ公演は1月28日(金)、29日(土)です。
ツアーにはDVD『二十一世紀の音霊』のディレクター、カーツ鈴木さんが同行しています。映像もお楽しみに。
ツアー先の各国のメディアで大きく取り上げられたMIYAZAWA-SICK。2月1日に首都ソフィアでライブを行なったブルガリアでは、新聞、雑誌の合計15紙に記事やインタビューが掲載されました(そのほかにテレビやラジオにも出演しています)。在ブルガリア日本大使館より掲載紙の日本語訳が送られてきましたので、その一部を紹介します。
〈コンサート前、キリル・マリチュコフと宮沢和史は彼の新曲「ひとつしかない地球」のレコーディングを行ない、その中でマリチュコフは日本語に挑戦している。この曲を書くことになったきっかけは、宮沢が子供の頃所属していた、日本の子供たちを海外に送り出す活動をしているグループが、子供たちみんなで歌える曲を書いてもらえないか、との希望を寄せてきたことだという。宮沢は、地球上の人々はお互いを良く知らないために争ったり憎みあったりしている、と言う。「僕らは皆、一つの大きな船の上で生きている。お互いをよく知ることが出来たら、争いを乗り越えられるし、和解そして理解を得ることが出来るはず」。ヨーロッ・パツアーを通じて、「ひとつしかない地球」はフランス、ポーランド、ブルガリア、ロシアのアーティストにより彼らの母国語によりレコーディングされる。ブルガリアのゲストはキリル・マリチュコフである。彼はブルガリア語でワン・パート、そしてサビを日本語で歌い上げるそうだ〉(2月1日『Bulgarian Army』紙)
〈昨夜、国立文化宮殿第一ホールにおいて、“Shtrutsite”のキリル・マリチュコフが初めて外国人歌手とのデュエットを行なった。相手は宮沢和史、日本のロックスターである。リハーサルの後、キリル・マリチュコフは一旦家に戻り、コンサートの最後に演奏される「ひとつしかない地球」の練習をしたという。「日本語は全くわからないんだけどMIYAZAWA-SICKのメンバーが発音を誉めてくれて、拍手してくれたよ。でも(歌詞を書いた)紙無しじゃとても難しくて歌えないな」とブルガリアのロックスター・ナンバーワンは打ち明ける。この「ひとつしかない地球」の共演は、キリルと宮沢和史が英語で共演した曲(「My Heart, My Soul, My Fear」)の後に実現した〉(2月2日『Trud』紙)
2月1日、ソフィア(ブルガリア)国立文化宮殿でMIYAZAWA-SICK '05ソフィア公演が行なわれました。この国立文化宮殿は通称エンデカと呼ばれるバルカン半島最大規模のホール。そこに集まった大勢の観客を前に素晴らしいパフォーマンスを披露。終演後もアンコールを求める声が鳴りやまず、急遽「島唄」を再演するという嬉しいハプニングもありました。
このライブにはゲストとしてブルガリアの“Rock Legend”、Kiril Marichkovさんが出演。Kirilさんが非常に気に入っているという「My Heart, My Soul, MyFear」、新曲「ひとつしかない地球」の2曲でMIYAZAWA-SICKと共演しました。
現地でこのライブをご覧になった方は、ぜひ感想を boom-fc@five-d.co.jp にお送りください。
宮沢和史、MIYAZAWA-SICK一行は1月30日にフランス・パリからブルガリアの首都ソフィアに移動。2月1日(火)はブルガリア国立文化宮殿第一ホールでライブです。宮沢和史は1月6日、7日にブルガリアを事前訪問。そのときに出演したテレビ番組やソフィア第18高校での様子はこちらや宮沢の写真blog「MIYAZAWA-EYES」で見ることができます。ソフィアではビートルズとほぼ同世代のバンドShutrutsiteに在籍し、現在はソロで活動中のKiril Marichkovとの共演もあります。1月6日にソフィアで彼と会った印象を宮沢はこのように語っています。「すごくいい人でした。まず彼のCDを聴いた感想を僕が言って、彼も僕のCDを聴いていてくれて面白いと言ってくれたので、ライブに出ませんかと、お願いしたんです。一緒に二曲ぐらいMIYAZAWA-SICKに入って演奏することになると思います」。
ブルガリアの首都ソフィアでの1月7日の宮沢和史の活動が同行スタッフからのメールで明らかになりました。
ソフィア到着3日目となる1月7日はHOBAテレビの朝の情報番組『Nova Televiziya』への出演からスタート。その後、2月1日にライブを行なうブルガリア国立文化宮殿を見学。ここはバルカン半島最大のホールとのことです。続いてソフィア第18高校を訪問。同校はブルガリア唯一、日本語学科のある公立高校。講堂の扉を開けた瞬間に、講堂を埋めた約200人の生徒たちが「島唄」の大合唱で宮沢を迎えてくれました。ブルガリアのトラディショナル・ソングなどの歓迎を受けたあと、今度は宮沢が生徒のギターを借り、「島唄」を披露。講堂中が再び大合唱になりました。午後はラジオや新聞の取材。Darik Radioでは「光」を弾き語り。夜は国営テレビ局のニュース番組『パノラマ』に出演。実は宮沢は同番組には2回目の出演でした。昨年夏のMIYAZAWA-SICK南米ツアーの前に、同番組の司会者ボイコ氏が東京でのMIYAZAWA-SICKリハーサルを取材。宮沢のドキュメンタリーを同番組でオンエアしていたのです。同番組ではブルガリアのロックバンドのボーカリスト、エロイ氏も交えて、「ロックが若者に与える影響」「グローバリゼーションについて」などをトーク。さらに深夜、同国営テレビ『Flight under the night』に生出演して、この日の全スケジュールが終了しました。この日の宮沢和史の写真はこちらです。
1月7日午前(日本時間)、ブルガリアの首都ソフィアから届いた同行スタッフからのメールによると、宮沢和史は1月6日、ブルガリア最大のテレビ局bTVの看板番組『Slavy's Show』に出演しました。視聴率50パーセントを超えるというこの国民的番組に宮沢が出演したきっかけは、番組の司会者Slavy氏が「島唄」を気に入っていること。番組で宮沢が『Slavy's Show』専属のバンドと共に三線で「島唄」を歌うと、スタジオの観客は大きな盛り上がりを見せました。演奏後にはSlavy氏から「心から感銘を受けました。ぜひこの歌をカヴァーする許可をいただけないでしょうか」という言葉があり、その直後、『Slavy's Show』バンドがブルガリア語で「島唄」を歌い上げるという、ゲストの宮沢がまったく知らされてなかったサプライズがありました。
この日は他にブルガリアのMTVにあたるMMTVや、ケーブルテレビBBTの番組収録を行ない、また、ブルガリアの新聞『Troud』や『Standrat』のインタビューなどを受けました。宮沢和史のソフィアでの写真はこちらです。
1月5日に日本を旅立った宮沢和史は約1週間、ブルガリア、ポーランドに滞在して、宮沢和史“MIYAZAWA-SICK '05”2月1日(火)ソフィア(ブルガリア)、2月4日(金)プシェミシル(ポーランド)、2月6日(日)ヴロツワフ(ポーランド)公演のための記者会見、現地共演者との打ち合わせなどを行ないます。両国での主な出演メディアの予定はこちらで。
ブルガリア・ソフィア在住の日本人から届いたメールを紹介します。
〈今、宮沢さんの出演したラジオ番組を聴き終わったところです。「島唄」に加え、「光」という曲を生演奏されましたが、思わず泣き崩れてしまいました。この曲を聴くのは初めてでした。歌詞の内容、いつも分からない言葉しか流れないラジオ、その同じラジオから日本語の美しい曲が流れてきたこと、もう何だかわけわからず嗚咽を堪えられませんでした。郷愁もあったかもしれません。でも日本人が招待されてこんな遠くまで来て、日本語で歌をうたう、それが誇らしくて、嬉しくて……。昨晩出演なさっていたTV『スラヴィ・ショー』もしっかり拝見いたしました、と書きたいところですが、宮沢さんが達磨を出したところでうちが停電になり(そんなことはしょっちゅう)結局最後まで見れませんでしたが、「島唄」のご本人による演奏+ブルガリア人によるカバー、と2回ともテレビの前に張り付いて、ブルガリア人の夫と画面前で合唱しました。ブルガリア公演は2月1日、ちょうど2月3日が私の誕生日なので夫がチケットをプレゼントしてくれることになりました。恥ずかしながら宮沢さんの音楽を日本にいる頃は全く存じ上げませんでしたが、2月1日までに予習しておきたいと思います。この1ヶ月、ハミングは「光」になるでしょう〉とのことです。
もう一通、〈宮沢さんのこちらでの反響はすごいようです! 日本人の知り合いはタクシーに乗ったら「『スラヴィ・ショー』は見たか?」と訊かれたそうです〉という、ブルガリアに留学中の日本人からメールが届きました。ブルガリア、ポーランドをはじめロシアなど各国での宮沢和史情報をムーブメントクラブではお待ちしています。ポーランド在住のファンのページには2003年夏のワルシャワ(ポーランド)ライブのレポートが掲載されています。
ポーランドの人気総合雑誌『POLITYKA』最新号にMIYAZAWA-SICK特集記事が6ページに渡って掲載されています。同誌で署名記事を担当する記者がMIYAZAWA-SICKプシェミシル公演に同行し、宮沢和史を含めたメンバーのインタビュー、ライブレポートなどで構成した記事です。その一部が『POLITYKA』サイト内に掲載されています。
2月6日午前、トメック・マコビェツキと新曲「ひとつしかない地球」のレコーディングが行なわれました。この曲はツアー先各国でゲスト・ミュージシャンとその国の言語でレコーディングされていきます。フランス、ブルガリアに続いて3カ国目となるポーランドでは、ヴロツワフ郊外の村にあるスタジオでレコーディング。レコーディング時の写真はこちら。以下は、レコーディング直後のトメック・マコビェツキのコメントです。
―――まずはレコーディングを終わっての感想を。
トメック 誇りに思ってます。それと……お腹がすいた(※トメックと宮沢は朝食抜きでレコーディングに参加)。でもいちばん重要なことは、MIYAZAWAが満足してくれたことです。
―――トメックも満足したでしょ?
トメック もちろん。
―――日本語の歌詞をポーランド語にするのは難しかったですか?
トメック いや、そうは思わなかったよ。歌詞の内容はクリアだったし、僕の歌詞はオリジナルにとても近いものになっていると思う。ポーランド語の詞はポエムのように韻を踏むようにして書いてます。
宮沢 さっきその歌詞を英語にしたものを読んだけど、すごくよかったよ。
―――日本語の部分を歌うのは難しかった?
トメック ポーランド語はすごく難しい言葉だから他の言語を勉強するのは比較的簡単なことでした。
―――この歌にはフランス、ブルガリア、ポーランド、そしてロシアのミュージシャンが参加します。このプロジェクトについてどう思います?
トメック グッド・アイデアだと思います。わお!(※ここで、スタジオのオーナーが作ったサンドイッチが到着)
ワルシャワの奇跡の再現、というよりはヴロツワフの新たな伝説の誕生です。2月6日、ポーランド・ヴロツワフでのMIYAZAWA-SICK公演は前半からホールがライブハウスとなったかのような盛り上がりを見せ、「島唄」でその興奮は最高潮へ。アンコールを求める声は「シマウタ、シマウタ」の大合唱! アンコールでのトメックとのコンビネーションはさらに熱い友情を感じさせる素晴らしいパフォーマンスを生み、再度の「島唄」は会場を揺るがす大合唱へ。ライブ写真をこちらでご覧ください。
2月4日、ウクライナとの国境近くにある人口約7万人の小さな町、プシェミシルで“MIYAZAWA-SICK '05”4本目のライブが行なわれました。会場はバスケットコート2面ほどのフロアを持つ体育館。集まってくれたのは小学校の団体から若者、お年寄りまで様々な人たち。トメック・マコビェツキはアンコールに登場。「島唄」と「ひとつしかな地球」を宮沢とデュエットしました。ロック・コンサート自体が珍しいと思われるこの町で、MIYAZAWA-SICKは強い印象を残したはずです。
以下は、コンサート終了直後に行なわれた地元メディアの記者会見より一部を紹介します。
―――今回のヨーロッパ・ツアーの中でプシェミシルを公演地に選んだのはどんな理由からですか?
宮沢 1年半前にワルシャワ(ポーランドの首都)でライブをやったときに言ったんですよ。「ポーランドは広くて、美しい町がたくさんある。そういった町をバスでまわっていつかツアーしたい」と。その後、IGAさん(プシェミシルでのライブの主宰者。ポーランド女性)と知り合いまして今日プシェミシルでコンサートができることになりました。今後もいろんな人の力を借りて、ポーランドの違う町でもコンサートをしたいと思っています。
―――プシェミシルの観客は例えばパリのお客さんとは違うと思いますが、いかがでしたか?
宮沢 今日いちばん強く感じたのはいろんな年齢の人が来てくれたということですね。やっぱりロック・コンサートだし、僕たちのコンサートもある程度お客さんのジェネレーションが絞られるのですが、今日はこんな小さな子どもたちから(手で自分の腰あたりの高さを示す)から年配の人たちまで来てくれて、すごく新鮮でしたね。自分が音楽を始めた頃のコンサートを思い出しました。
―――お客さんの反応についてどう思いましたか?
宮沢 コンサートというのは「見せる」だけのものではないと思うんです。お客さんと一緒に時間経過とともに押したり押されたり、一緒に作っていくのがいいコンサートだと思うんですが、今日はまさにそういうコンサートでした。最初はやっぱりみんな僕の音楽を知らない、でもだんだん心を開いて最後は一緒にビルドアップしていく感じがしてすごく満足しています。
―――トメック・マコビェツキと知り合ったきっかけを教えてください。
宮沢 一年半前にワルシャワのラジオホールでライブをしたときに観に来てくれたんです。こういうライブを初めて観たと喜んでくれて、自分も「島唄」をぜひ歌いたいということを聞いたんです。それで「じゃあ次は一緒にやろうね」と約束して。今日も一緒に「島唄」を歌いましたが、彼も「島唄」をレコーディングしていて、まもなく彼の「島唄」もポーランドでリリースされることだと思います。
―――ポーランドという国から何を連想しますか?
宮沢 「島唄」は、第二次世界大戦のときに唯一日本で地上戦があった島、沖縄をモチーフにして、二度と戦争が起きないようにと作った歌です。ポーランドの歴史を知ると、僕には沖縄の歴史とだぶって感じるんです。だから、僕自身にとってはポーランドで「島唄」を歌うことは非常に大きな意味があることです。また、トメックがこの歌をポーランドで歌ってくれるというのはこの上ない幸せです。
宮沢和史MIYAZAWA-SICKはフランス、ブルガリアの次に3カ国目の訪問国ポーランドへ。2003年のポーランド・ライブは首都ワルシャワでした。今回はウクライナ国境近くのプシェミシル市(2月4日)とチェコに近いヴロツワフ市での2公演です。両公演の詳細はこちら。
ポーランドでは2003年にワルシャワで知り合ったトメック・マコビェツキのバンドと共演です。トメック・マコビェツキは「島唄」をレコーディング中。先月ワルシャワでトメックに会った際にその「島唄」を聴いた印象を宮沢は以下のように話していました。「最終形の“仮歌”を聴かせてもらったんだけど、非常に日本語も上手で、2、3、ちょっと発音をこうしたらということは伝えたけど、それ以外は完璧な日本語だった。アレンジもすごくいいし、何よりも彼は日本のTシャツを着て会いに来てくれてね。そういう細かいところに人柄が出てるなというか、日本に関心があるんだなと思って、うれしかったですね」。
2003年ワルシャワでのMIYAZAWA-SICKライブの模様はDVD『二十一世紀の音霊』に収録されています。ジャケット写真で宮沢が手に持っているのは、ライブ中にプレゼントされたサッカーのポーランド代表チームのユニフォーム。
2月4日(金)、6日(日)のMIYAZAWA-SICKポーランド公演の告知記事がポーランドの音楽ニュースサイトのこちらとこちらに新たに掲載されています。2003年のワルシャワ公演に続いて、今年もポーランドは熱い歓迎がありそうです。ポーランドのMIYAZAWAファンが作ってくれた公演告知フライヤと卓上ポスターの画像はこちら。また、ポーランド・ヴロツワフのラジオ局ESKAで流れているMIYAZAWA-SICKの60秒CMをこちらで聴くことができます。ライブの告知の他に、宮沢和史や島唄の説明、共演するトメック・マコビェツキなどがポーランド語で紹介されています。
ポーランドに「島唄」が広がるきっかけを作り、2003年夏のMIYAZAWA-SICKワルシャワ公演に大きく協力してくれた八島敬さんから写真が届きました。先日宮沢和史がポーランド訪問時に出演したテレビ番組でのシーンと、プシェミシル市でのポスター貼りの写真です。ポーランドでのテレビ出演時の写真は在ポーランド日本大使館のサイト内こちらのページにも掲載されています。プシェミシル市市役所のサイト内にもこのようなコンサート告知ページができています。
ブルガリア・ソフィア滞在のあとポーランドの首都ワルシャワを訪れていた宮沢和史が1月11日に帰国しました。2003年夏にMIYAZAWA-SICKライブを行ない、熱狂的な歓迎を受けたポーランドでは、今回は2月4日(金)プシュミシルと2月6日(日)ヴロツワフの二都市で公演します。新聞の取材やテレビ出演の他、ワルシャワでは「島唄」をポーランド語でレコーディングした現地のミュージシャン、Tomek Makowieckiとミーティングしました。ポーランドではTomek Makowieckiもゲスト出演し、共演します。ワルシャワでの写真はこちらです。
2003年のワルシャワでのMIYAZAWA-SICKライブ映像はDVD『二十一世紀の音霊』に収録されています。極東ラジオ第333回で宮沢和史が2003年ワルシャワでのエピソードを話しています。
ポーランド在住の日本人ファンから情報を送っていただきました。ポーランド国内の音楽ニュースサイト『cgm』には、Tomek Makowieckiのバンドがプシュミシルとヴロツワフで宮沢和史とコンサートを行なうこと。TOMEKのバンドは「島唄」を演奏すること、「自分たちのアレンジで歌うので、オリジナルとは全く違って聞こえるだろう」というTOMEKの言葉などを紹介しています。1月20日の『毎日新聞』夕刊にはポーランド公演についての宮沢和史のインタビュー記事が掲載されています。
MIYAZAWA-SICKモスクワ公演で共演したディアナ・アルベニナ(Night Snipers)がロシア語でカバーした「Симаута(島唄)」がロシアのラジオ・チャートで5週連続のチャートインです。最新チャートでは5位です。
2月9日、2月10日の二日間、ロシア・モスクワでライブを行なった宮沢和史にJ-WAVEが密着取材。一時間の特番『J-WAVE WEEKEND SPECIAL MIYAZAWA MEETS MOSCOW』として2月26日(土)24時からオンエアされます。今、ロシアで起こっているという日本ブームをはじめとしたロシアの“現在”を宮沢を通じてドキュメント・タッチで紹介。現地で収録されたMIYAZAWA-SICKのライブ音源もオンエアされます。
この取材を担当したJ-WAVEのディレクター、渡邊岳史さんはTHE BOOMのアルバム『百景』収録の「24時間の旅」についてこんなコメントを寄せています。
日本経済新聞2月21日夕刊に2月8日、ロシア・モスクワでの宮沢和史、ディアナ・アルベニナ記者会見の様子が紹介されています。〈記者会見でディアナは宮沢を「似た音楽性を持つ本物のサムライ」と称賛し、旧ソ連末期の伝説的ロックシンガーであるビクトル・ツォイに例えた。宮沢もディアナを「世界じゅうでロックの心が失われていく中、これからどう歩いていけばよいかを聞き手に伝えられる数少ないロックアーティスト」と高く評価した。〉と、記事は伝えています。
2月17日の朝日新聞夕刊掲載の「宮沢和史さん、日ロで奏でる『島唄』の調べという記事でMIYAZAWA-SICKのモスクワ公演と、Night Snipersによる「島唄」が紹介されています。『TBS News-i』のこちらのページでは2月9日のライブ映像と宮沢和史のインタビュー映像を約1分間、見ることができます。『報知新聞』の記事はこちらです。フジテレビ『めざましテレビ』でのニュース画像はこちら。
ロシアでの記者会見の模様はヨーロッパツアーblogに記されています。このロシア公演の詳細は特設サイト(ロシア語)で。昨年12月に宮沢がモスクワを訪れた際の写真も掲載されています。宮沢は昨年12月、モスクワでディアナ・アルベニナのバンドNight Snipers(ナチニエ・スナイペル)と共に彼女の曲「コシカ」をレコーディング。ディアナは宮沢の「Симаута(島唄)」をレコーディングし、現在こちらのラジオチャートでは4位にランクしています。
2月9日、ロシアで2枚組シングル「島唄/コシカ」が限定数発売になりました。一枚目のディスクにはディアナ・アルベニナ(Night Snipers)が歌う「Симаута(島唄)」と宮沢和史「Cancion de la Isla(Shima Uta)」(ベストアルバム『MIYAZAWA-SICK』に収録のバージョン)、そしてCD-EXTRAにはモスクワで撮影された宮沢和史の写真を収録。二枚目のディスクはディアナと宮沢和史によるデュエット「コシカ(猫)」、CD-EXTRAに特典映像「MOSCOW STORY」を収録。この「MOSCOW STORY」には昨年12月に宮沢がモスクワを初めて訪れた時の映像やインタビューが収められています。ご覧の通りの特殊パッケージです。
2月10日(木)朝のNHK総合テレビ『NHKニュース おはよう日本』で、2月9日(水)モスクワ・ゴーリキ記念モスクワ・アカデミック芸術劇場で行なわれた宮沢和史MIYAZAWA-SICKのライブの模様が“「島唄」モスクワで披露”というタイトルで紹介されました。「島唄」「コシカ(猫)」のライブ映像が一部オンエアされたほか、ライブを観に行った現地の方の「あたたかく感動的な歌でロシアと日本に共通したものを感じます」というコメントも紹介され、地元グループ(Night Snipersのこと)によるロシア語版の「島唄」がリリースされることまで、約1分半にわたって取りあげられました。
ロシアの新聞『izvestia』2月10日に宮沢和史インタビューが掲載されています。
MIYAZAWA-SICK一行は2月7日無事、ロシア・モスクワに到着。翌2月8日にはディアナ・アルベニナ率いるNight Snipersと合流、ライブのリハーサルと新曲「ひとつしかない地球」のレコーディングを行ないました。その後、2月10日のライブ会場でもあるクラブB2で記者会見に臨みました。この記者会見には現地のメディアのみならず、日本からも多くのメディアが取材に来ました。また、2月9日のライブをNHKとフジテレビが、2月10日のライブはTBSがそれぞれ取材する予定です。ニュース番組やワイドショーなどで会見やライブの模様がオンエアされる可能性も高いので、ぜひチェックを。
同行しているスタッフによるツアー日記、宮沢和史ヨーロッパツアーblogもぜひチェックを。プシェミシル、ヴロツワフでのライブはもちろん、このロシアでの記者会見当日、2月8日分まで更新されています。
ポーランド・ヴロツワフ市での公演を終えた宮沢和史MIYAZAWA-SICK。ライブは大成功との一報が伝わってきています。一行は現在、ロシア・モスクワへと向かっている道中。モスクワでは2月9日(水)ゴーリキ記念モスクワ芸術劇場、2月10日(木)クラブB2の2公演を行ない、2公演ともにディアナ・アルベニナが率いるロックバンドNight Snipersが出演します。ロシア公演の詳細はこちらの特設サイトで。
宮沢は昨年12月にモスクワを初めて訪れた際、Night Snipersの「コシカ」(猫)という曲をディアナと一緒にレコーディングしました。宮沢は自身で訳した日本語詞で、ディアナはロシア語でというデュエット。この曲もライブで共演される予定です。
2月9日、10日のMIYAZAWA-SICKロシア公演で宮沢和史と共演するディアナ・アルベニナ(Night Snipers)がカバーした「Симаута(島唄)」がロシアのラジオ・チャートを上昇中です。このチャートでは初登場第4位です。こちらの「島唄」記事の下、MP3の表示をクリックするとディアナが歌う「Симаута(島唄)」を一部をアナウンス付きで聴くことができます。昨年12月に宮沢和史がモスクワを訪れた際に、宮沢はロシアのテレビ番組やラジオ番組で「島唄」を弾き語りで披露しています。モスクワでの滞在最終日にはディアナの曲「コシカ」を一緒にレコーディングし、そちらも現在ロシアのラジオ局でオンエアされています。
宮沢和史ソロツアー“MIYAZAWA-SICK '05”、2月9日(水)ゴーリキ記念モスクワ・アカデミック芸術劇場、2月10日(木)クラブB2でのモスクワ公演特設ページがオープンしました。ロシア側が制作。すべてロシア語です。昨年12月に宮沢がモスクワを訪れた際の写真はこちらのページで、Night Snipersとレコーディングした曲「コシカ」(猫)はこちらのページで聴くことができます。モスクワ公演のチケットをロシア以外から購入希望の方は iss-moscow@nifty.com(担当:石島)までご連絡ください。
昨年12月にモスクワ(ロシア)を訪れた宮沢和史。その感想は現在発売中の雑誌『ラティーナ』に〈モスクワは得体の知れないエネルギーに満ちあふれている。人影が少なく、どんよりとしたグレーの街並みに吹雪く雪、といったステレオタイプの勝手な僕の思い込みは、見事にくつがえされた。クレムリンは色鮮やかで、馬鹿デカく、美しい。そこら中にあるロシア正教の教会は、これまで僕が見たこともない建築様式で、色も形も派手で、お伽の国にいるような気分になる。大勢の人が街を行き交い、ヨーロッパやアジアのトップブランドの看板が立ち並び、クリスマス前ということで大通りは見事にライトアップされている〉と、その印象を記しています。
ロシアのメディアにも宮沢和史(ロシア語で「Кадзуфуми Миядзава」)数多く登場しています。こちらの記事は、日本人のロシア音楽ファンのページでこのように紹介されています。他にもたくさんのサイトに記事(すべてロシア語)が出ています。
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12月2日からロシア・モスクワを訪問していた宮沢和史が6日、無事に帰国しました。モスクワ到着のその夜から現地の新聞、雑誌のインタビューが始まり、ラジオ、テレビ出演、記者会見、撮影などがひっきりなしに続くという、ロシア・メディアの宮沢への注目度の高さを知るモスクワ滞在でした。MTVロシアでは「島唄」をギターで弾き語りし(写真はこちら)、他にもラジオでも「島唄」を生放送で披露するなど、来年2月9日、10日の宮沢和史MIYAZAWA-SICKモスクワ公演を前に、ロシアでも歌ってきました。MIYAZAWA-SICKロシア公演は、今回何度も一緒に取材を受けたディアナが率いるロシアのロックバンドNight Snipersと共演します。
ディアナは今年10月に来日し、武道館と滋賀・大津(THE BOOM)のステージを観て、宮沢と会談しています。今回、宮沢はモスクワ滞在中にNight Snipersのライブを観て、その翌日、Night Snipersの曲「コシカ」(猫)をディアナと一緒にレコーディングしました。宮沢は自身で訳した日本語詞で、ディアナはロシア語でというデュエット。この曲も2月のモスクワのステージで共演の予定です。
MIYAZAWA-SICKロンドン公演を特集した3月12日放送の『UK JACK!』の内容を紹介します。冒頭にはこのロンドン公演を主催した音楽ジャーナリスト、ポール・フィッシャーの〈THE BOOM、宮沢和史を知ってからずいぶん経つけど、このスタイルが大好きなんだ。日本と他の東洋のスタイルをロックや南米音楽と混ぜた独特のスタイル。それになんといっても宮沢は素晴らしいソングライターだ。曲自体が世界で唯一無二なんだ〉というコメントあり、「ちむぐり唄者」「島唄」「Save Yourself」のライブ映像が続きました。宮沢和史のコメントを一部、以下に紹介します。
〈僕は80年代、ニューウェイヴやポストパンクにどっぷり影響されました。特にイギリスのバンド、ポリスやスペシャルズですね。でもプロになって思ったんです。彼らに憧れてバンドも組んだし、プロを目指したけれど、プロになって彼らの真似、追従をしてていいのかって。優れた音楽はあるからもちろん影響はされるけど。でもそう言ってたら追いつけないし、越せない。だったら連中に作れない音楽を作りたいと思って、それからはむしろ「イギリスとアメリカ、てやんでえ!」みたいなところがどっかにありますね。(イギリスの音楽は)親みたいなものです。恩もたくさんあるし、勉強もたくさんさせてもらった。憧れもしたし、アイドルもたくさんいる。でも、心の中ではアイドルだけど、自分はそれを越えていくんだ、あの人たちが作れないものを作るんだというのが僕の目標というか夢です〉
終演直後にはバックステージでこんなコメントをしていました。〈やっぱり僕らが憧れていた町で、メンバーみんなもそれぞれ思い入れもあるし、そこでやれるということは気負ったりするかなとも思ったけど、全然そんなことはなかったです。お客さんにも助けられて、日本の音楽をじっくり聴いてもらえたと思うし、また今度このお客さんにこういう歌を聴かせたいなと、いろいろライブをやりながら思いましたね〉
2月12日、ロンドンでのライブ。アンコールで歌われた「My Heart, My Soul, My Fear」と「Save Yourself」は1997年にロンドンでレコーディングされた宮沢和史初のソロアルバム『Sixteenth Moon』収録曲。英語詞はロンドン公演の主催者、ポール・フィッシャーの友人、詩人Brian Foremanによるもの。『Sixteenth Moon』ロンドン・レコーディングについてはディレクターがこちらにレポートを書いています。宮沢和史も極東ラジオ第40回と第50回でエピソードを話しています。
ポール・フィッシャーがDJを担当しているロンドンのラジオ番組『FAR SIDE RADIO』は先週、今週と2週連続でMIYAZAWA-SICKロンドン公演特集でした。番組に寄せられたロンドン・ライブの感想もたくさん紹介されました。2月24日放送分の再放送は3月1日(火)。インターネットでも生中継されていますのでResonance FMのサイトで日本でも同日16時〜17時に聴くことができます。
モスクワ公演に続く宮沢和史の目的地はロンドン。現地のライブ告知の広告には、"Mixing Oriental, Okinawan, Brazillian and other latin sounds into an intoxicating brew, Miyazawa is a mega star in Japan, big in Brazil and Argentina, and now makes his London debut."というコピーで紹介されています。ロンドン公演の詳細はこちらで。
宮沢和史にとってロンドンは、初のソロアルバム『Sixteenth Moon』(1998年)のレコーディングで長期滞在した町です。
ツアー“MIYAZAWA-SICK '05”大阪、東京公演のチケット発売を前に、“MIYAZAWA-SICK”の歴史をふりかえる連載その1です。宮沢和史ソロ・ツアーは1998年の“Sixteenth Moon”が最初でしたが、ツアー・タイトルに“MIYAZAWA-SICK”と初めて付けられたのは2001年12月27日大阪から2002年1月7日広島までの国内ツアー。極東ラジオ第252回で宮沢和史と高野寛さんがこのツアーを語っています。ツアーの感想集はこちら。東京公演の映像はDVD『MIYAZAWA-SICK』に収録されています。
ツアー“MIYAZAWA-SICK '05”大阪、東京公演のチケット発売(12月18日)を前に、
“MIYAZAWA-SICK”の歴史をふりかえる連載その2です。
“MIYAZAWA-SICK”として初の海外ライブは、2002年7月、スペイン・パンプローナでのフェスティバル。宮沢和史スペイン語サイト内のこちらのページに写真や、現地紙のレビュー、インタビューを掲載していてます。極東ラジオ第280回では宮沢和史と高野寛さんがこのスペイン公演についてたっぷり語っています。高野さんのアルバム『確かな光』に収録の「歓びの歌(サン・セバスチャンの思い出)」には「ホテルの窓から鐘の音と鳥の声がきこえてきて、それだけで物語のようだった。そのとき録音した音に、歌とギターを重ねて」と、スペイン滞在中に録った音が使われています。
2003年1月にリリースされたCDとDVDはどちらも「MIYAZAZAWA-SICK」というタイトル。CD『MIYAZAWA-SICK』には、それまでにリリースされた3枚のソロ・アルバムから選ばれた13曲と、ツアーメンバーMIYAZAWA-SICKで新たにレコーディングした「島唄」の一部スペイン語バージョンを加えたベストアルバム。「Cancion de la Isla(Shima Uta)」でのスペイン語訳はディアマンテスのアルベルトが担当しレコーディングにもコーラスで参加(後にディアマンテスは全編スペイン語の「島唄」カバーをリリース)。極東ラジオ第305回で宮沢はアルベルトをゲストにこのレコーディングについて語っています。スペイン語でのセルフカバーのきっかけは前年のMIYAZAWA-SICKスペイン公演。当時のインタビューで宮沢は「スペインで歌ってみて、このバンドならではの『島唄』を作りたいなと思ったんです。『島唄』はアルゼンチンやチリなど南米スペイン語圏でもカバーされたけど、誰もスペイン語で歌ってない。じゃあ、俺が逆手をとってスペイン語で歌ってみたいと」と語っています。DVD『MIYAZAWA-SICK』には2002年1月、ZEPP TOKYOでのMIYAZAWA-SICKライブの映像やビデオクリップを収録。「E TUDO TAO MENOR」「ちむぐり唄者」の映像はこちらのページで見ることができます。
ベストアルバム『MIYAZAWA-SICK』、LIVE+CLIPS DVD『MIYAZAWA-SICK』をリリースした2003年1月には東京と大阪で全4公演のツアー“MIYAZAWA-SICK”が行なわれました。宮沢和史をはじめ、MIYAZAWA-SICKメンバー全員のこのツアーへのコメントをこちらで読むことができます。
前年のスペイン公演に続いてのMIYAZAWA-SICKヨーロッパ・ツアーは2003年7月にリスボン(ポルトガル)、ワルシャワ(ポーランド)、チュービンゲン(ドイツ)の三カ所で行なわれました。この模様はDVD『二十一世紀の音霊』に収録されています。極東ラジオ第332回と第333回で宮沢和史がエピソードを語っています。また、MIYAZAWA-SICKメンバーの高野寛さんもFAR EAST SATELLITE第45回でこのツアーを振り返っています。
昨年1月にリリースされた宮沢和史4枚目のソロアルバム『SPIRITEK』は、これまで他のミュージシャンに提供してきた数多くの作品の中から選んだ11曲をレコーディングしたもの。全曲コメント、ビデオクリップ、宮沢インタビューへのリンクなどはアルバム特設サイトで。『SPIRITEK』についてのトークは極東ラジオ第351回と第352回で聞くことができます。
このコラムではこれまで宮沢和史MIYAZAWA-SICK海外ツアーの歴史を紹介してきましたが、今回はその前史。2002年4月にブエノスアイレスでアルフレッド・カセーロに会う直前の、宮沢と雑誌『ラティーナ』本田編集長が語ったテキストを紹介します。THE BOOMの1996年のブラジル・ツアーや宮沢和史のブラジルやアルゼンチンでのレコーディングについて語っています。
短期集中MIYAZAWA-SICK講座、最終回はMIYAZAWA-SICKのメンバーについて。
ブラジルから合流のマルコス・スザーノ(percussion)、フェルナンド・モウラ(keyboards)はブラジルでレコーディングを行なった宮沢和史セカンドアルバム『AFROSICK』からの知己。こちらでの3人のトークもご覧ください。昨年9月、宮沢はフェルナンド・モウラ・バンドのボーカリストとしてブラジルのフェスに出演しています。沖縄系アルゼンチン人のクラウディア大城(chorus)は数年前にアルゼンチンで大ヒットしたアルフレッド・カセーロによる「SHIMAUTA」レコーディングに参加。2002年の来日でTHE BOOMと共演し、2003年はTHE BOOMの全国ツアーにも参加し、昨年のMIYAZAWA-SICKブエノスアイレス公演では地元ファンに大きな歓声で迎えられました。
tatsu(bass)は2001年末の“MIYAZAWA-SICK”ツアーについてこちらで振り返っています。2003年の“MIYAZAWA-SICK '03”時のゲンタ(drums)、ルイス・バジェ(trumpet)、今福健司(percussion)、土屋玲子(Violin & Erhu)のコメントはこちらで。盟友・高野寛は昨年夏のアルゼンチン・ブラジル・ツアーをこちらで語っています。